2010年6月22日火曜日

ブラジル雑貨ショップ アゼンシア南埼玉

気軽に立ち寄れるまちの雑貨屋さん

格別のブラジル産コーヒーは580円
ブラジルの CDやDVDも扱っている。

ブラジル国旗が何とも誇らしい
焼きたてチーズパンは50円。冷凍50個入りは1900円。10個入りは380円



戦後移民の父、永浦さん



埼玉県川越市の川越駅から徒歩五分のマンションの一階部分に位置するショップ。店内に入ると、商品棚の上に設置されているブラウン管にはワールドカップのブラジル戦が映し出され、壁にはブラジル国旗にブラジルの地図が飾られていた。


オーナーの永浦さんは宮城県出身のブラジル日系人一世。キビキビとした戦後の混乱の中で、農業高校を卒業し、郵便局に就職。破格の給与を得ていたが、農業をやりたいという思いを抑えられず、新聞広告に載っていたブラジルへの農業移民へ応募。

見事採用され、1956年、19歳という若さでブラジルへと渡った。日本人集住地帯の農園で4年間就業したのち、日本人がいないところを求めて、サンパウロからセアラ州へたった一人で移住。

行き着いた先で資産家の農園で就業しながら農業の技術を磨き、自らの農園を所有するまでに到る。ブラジル人女性と結婚し、4人の子どもを設け順風満帆な生活を送っていた。

ところが、ブラジルに移民してからおよそ30年が経ち永浦さんのもとに不遇の事態が襲う。ブラジルはもとより、ラテンアメリカ中が凄まじいハイパーインフレに見舞われたのである。毎日毎日ものの値段が上がっていき、農園で得た利益が何の意味も為さなくなり、挙句の果てに政府に資産を凍結されてしまったのである。

そこで1990年、永浦さんは家族総出で日本へ出稼ぎにやってきたのだ。永浦さんは工場で働きながらも商売のチャンスをうかがっていた。日本にやってきて1年経ったある日、永浦さんはインターナショナルプレスというブラジル人向きの新聞社が創業することを知り、80万円の契約金で新聞販売代理店になった。

パソコンも携帯電話もない時代で、創業したての新聞をどうやって売るのか。永浦さんは家族で試行錯誤を重ねた。永浦さんが生活していたのは埼玉県川越市という大規模な工業団地が林立するまちであり、出稼ぎ南米日系人の集住地域。

90年代初頭の当時、電話線を引くのがとても高く、出稼ぎにやってきた南米日系人は、週末駅前に出向き、公衆電話から母国の家族に電話をかけていた。

永浦さんはその南米日系人の行動に目を付けた。週末家族で駅前の公衆電話に張り込み、仕入れた新聞を南米日系人に配り宣伝に務めたが、思うように新聞は売れなかった。

永浦さんの野心は相当なもので、一度や二度の失敗でへこたれるような人ではなかった。思い立ったら行動は早かった。間髪入れずブラジルから雑誌を輸入し、ブラジル雑貨店に卸した。本は飛ぶように売れ、CDやビデオも同様に輸入販売した。

副業であったはずが、永浦さんは工場を退社し、南米日系人向きの商売に専念した。川越プリンスホテルの広場を貸し切り、ディスコイベントを催し、ブラジルから有名歌手を呼んでコンサートも開いた。

先見の目をもつ永浦さんの商売は全盛期で年商1億にまで拡大していった。永浦さんは「もっと会社を大きく出来た。でも今の状況を見ればここでとどめといて正解だったのかもしれない。」とぽつりとつぶやいた。

資本金を遥かに上回るライバル業者の登場、リーマンショックによって失業した南米日系人の帰国に伴う市場の縮小などによって今では小さな雑貨店が残るのみとなった。

アゼンシアとは代理店という意味である。新聞の代理店として始めたことに由来する。会社登録までの時間に余裕がなく慌しい中で命名したそうだ。

お薦めはブラジル産、PILAOブランドのコーヒー。インスタント580円。ドリップタイプ480円。深みがありながらもすっきりとしたキレのある味わいだ。

気前がよく気さくな永浦さんは客が来店するとコーヒーを入れる。お店の奥にはテーブルがあり、来店者がコーヒーをすすりながらくつろげられるようになっているのだ。

永浦さんは日本生まれ、日本育ち、日本国籍ながらも心底ブラジルという国を愛している。保証人、敷金礼金不要の南米人向きのアパートやマンションの紹介も手がけ、南米人が求めるものを敏感にキャッチし、提供する地域の頼れるお父さん的存在だ。

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